ブルー・アイランド先生の音と絵の交叉点 26
エリック・サティの「パラード」(1880)と
フリードリッヒ・ゾンネンシュターンの「盲目のライオン」
フリードリッヒ・ゾンネンシュターンの「盲目のライオン」


数少ない管弦楽曲として、バレエの為の「パラード」(1917初演)が有名だが、見世物小屋風な曲想を持ち、万華鏡のように千変万化する。しかもサイレン、タイプライター、ピストルなどが打楽器として加わり、当時の芸術界に流行したダダイスムの音楽である。
筆者の大学時代、著作権が終了した途端にブームが起こり、次々と楽譜が出版され、專門のピアニストも現われたが、残念なことに現在はその姿を見ることも無くなった。
ゾンネンシュターン(1892~1982)は少年時代からその兇暴性・盗癖・飲酒などによっで少年院や精神病院を遍歴する。第二次大戦後の1947年(55歳)から突如として色鉛筆による大量の作品が生み出された。その画風と主題は全く他に例を見ないもので、ピカソやフンデルトワッサーを虜にした程である。
絵ははっきりとした輪郭線を持ち、遠近法は無視されている。戯画や民俗画に近いと感じる人もいるだろう。そして登場人物は決まって口が耳まで裂けを卑猥な笑い顔をしている。また皮膚の皺などに目が付き、新しい顔が現われている。脚や尾の先は渦巻を描き、車輪が付いていたり、蛇の頭に変化している場合もある。思い出すのは、手塚治虫が少年サンデー誌に連載していた「白いパイロット 」に、非常に似た蛇状の乗り物が登場したことだ。65年も前の古い記憶だが、当時ゾンネンシュターンの絵が掲載されたのは、講談社から出た赤い革貼りの美術全集の「現代」編だけだったと思う。そしてその頃(1964)、ゾンネンシュターンは良き伴侶だったマルタ・メーラーを亡くして 事実上筆を折っていたのである。たった20年の短かい画家生活であった。彼をアウトサイダー・アートの一人と拘える研究者もあるのだが、何人かの証言(その中には日本人も居る)によれば、彼はサービス精神豊かであり、絵はまだ会っていない人々へ対する精一杯のプレゼントだったのではないだろうか。
青島 広志 1955年東京生。作曲・ピアノ・指揮・解説・執筆・少女漫画研究など多くの分野で活動。東京藝術大学講師を41年務め、多くの声楽家を育てる。日本作曲家協議会・日本現代音楽協会・東京室内歌劇場会員。著書・出版譜多数。




