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ブルー・アイランド先生の音と絵の交叉点 21
絵と文 青島 広志
アンリ・ルソーの「戦争」
セルゲイ・プロコフィエフの「古典交響曲」
 19世紀末から20世紀初頭にパリに登場した画家たちの中に、素朴派と呼ばれる異色の存在がある。謂ゆる専門的な美術教育を受けていないアマチュアの画家である。それ迄は一般市民に芸術を生み出す余裕が無かったからであろう。そしてこの時代になって、印象派を始めとする新しい主義が雨後の筍のように現れたということになる。素朴派の代表格はアンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(1844〜1910)に留めをさす。彼は税関吏を勤めつつ休日に絵を描いていた。しかしサロン審査にも応募していたから(すべて落選)画家たる自負はあったのだろう、無審査のアンデパンダン展には最後まで出品を続けている。同展の客だった少数の芸術家は興味を示したが、とくにピカソは古物屋で「女性の肖像」をたった5フランで買い賞讃を惜しまなかった。この辺り、作曲家として無名だったサティをドビュッシーが高く評価したのと似ている。ピカソを中心に、アポリネール、マリー・ローランサンなどの詩人や芸術家たちが「洗濯船」と呼ばれる力フェでルソーを讃える会を開き、画家は大変に感激し、全く似ていないアポリネールらの肖像画(「詩人とミューズ」)を描いて贈ったが、これは1908年のことで、逝去二年前だった。
 不思議なのは彼の場合、全く技術が進歩しないことである。普通は同じ作業を続けている内に新しい技法を採り入れて行くものなのだが、人物のデッサン、遠近法などに全く興味を示していない。そして色彩は常に明るく画面の隅々まで描き残しがない、ということは中世の宗教画のようでもあるし、職人の作った民芸品のようでもある。ルソーが第一世代だとすれば、次の世代では敢えて素朴派たらんとする専門画家が現われて来るのだ。
 一方、セルゲイ・セルゲヴィチ・プロコフィエフ(1891〜1953)を素朴派に分類する訳ではない。極めて現代的な作曲法から出発しているからだ。しかし亡命を経て1933年に帰国してからは、ソ連の政策に合った明快で健康的な作風を選んだのであり、つまりは素朴派としての顔を見せたということになる。そして案外気に入っていたのではないだろうか。「古典交響曲」(1917)は早い時代にそれを示した好例だが、突然の遠隔調への転調はパッチワークのようで、ルソーの切り貼りしたようなモデリングと似ている。ここではやや内容が異質だが、日曜画家時代に描かれた「戦争」(1894)を取り上げた。
青島 広志 1955年東京生。作曲・ピアノ・指揮・解説・執筆・少女漫画研究など多くの分野で活動。東京藝術大学講師を41年務め、多くの声楽家を育てる。日本作曲家協議会・日本現代音楽協会・東京室内歌劇場会員。著書・出版譜多数。